HANG OUT VOL.1 LONG TRAIL
レイ・ジャーディンさん
ロングトレイルのおもしろさって何ですか?
そもそもロングトレイルって何が楽しいの? 快適な生活が約束された街を離れて、自然のなかに身を投じ、見知らぬ道を数百キロ、数千キロも歩き続ける。一聞すると“過酷な長旅”とさえ思えるが、ロングトレイルに魅了されるハイカーが世界各地にいるのも事実。この長旅を経験した先に待ち受けるものって? その答えを探るべく、アメリカのレジェンドハイカー、レイ・ジャーディンにインタビュー。ULの父と称される彼の言葉とともに、ロングトレイルのおもしろさをぼくたちなりに考えてみた。
PROFILE
レイ・ジャーディン
1944年アメリカ生まれ。19歳のときにクライミングをはじめ、70年代にはヨセミテのThe Phoenixルートのフリー登攀に世界で初めて成功。80年代にはロングディスタンスハイキングに傾倒し、米国の3大トレイルを踏破。その経験をもとに執筆した『Beyond Backpacking』は、今日まで普及するUL(Ultra Light)やMYOG(Make Your Own Gear)といったカルチャーをつくった。
原始的な暮らしが呼び起こす、本来の自分。
「寂しい」「まだまだ旅を続けたい」「もう終わっちゃうのか…」。
この特集を通じて出会ったロングトレイルの経験者たちにゴール直後の感想を聞くと、こんな言葉が返ってきた。意外や意外、目標としていた道のりを踏破した瞬間に感じるのは、達成感よりも、名残惜しさ。長距離移動という意味ではマラソンやトレイルランニングに通じるものがあるように思えるが、これらの競技の目的は、定められた距離をそれぞれの目標タイム内で走り切ること。フルマラソン完走後に、「あと10km走りたい」なんて思うランナーはごく僅かだろう。
「トレイル全線を通しで歩くスルーハイク中、ひとは徐々に自然の音に馴染んでいくんだ。デイハイカーや週末ハイカーでは到達できない領域だね。そしてときが経つごとに、自然や野生動物との繋がりを感じはじめる。ぼくは5回目のスルーハイク中、エルクの群れのなかを通り抜けたんだけど、彼らは逃げることもせず、ぼくたちを受け入れてくれたように感じた。野生動物との距離感が近くなったように思ったよ。ときには彼らと一体化したように感じたし、彼らもぼくたちを受け入れているように感じたんだ」
自然に帰化する感覚、とでもいうのだろうか。かつて人間は、自然のなかで暮らしていた。木で家を建て、枝を擦り合わせて火を起こし、石で狩猟に必要な武器をつくる。文明が発達したいまとなっては不自由としか思えない、原始的な生活。だが、レイは、エルクと遭遇したときの自分を「本来の自分」と表現する。原始的な祖先の姿に近づけたような気がしたと。
「スルーハイクは一種のデイバイクだけど、毎晩家や宿に戻る必要はないよね。日中はハイキングをして、日が暮れる前にテントを設営して、夜を過ごして、朝になったらテントを片付けて、バックパックを背負い、再びトレイルに出発する。家に戻るための退屈な運転も、ハイウェイの渋滞も、ガソリンの費用もかからない。スルーハイカーは、クルマではアクセスできない道を歩き、寝て、目覚める。ひとの足でしか辿り着けない特別な場所で朝を迎えるんだ。一体、それのどこに魅力を感じないっていうんだい?」
彼がロングトレイルに魅せられる理由。それは、人間のあるべき姿に近づけること、そしてぼくたちからする非日常を日常として過ごせる日々にあるのかもしれない。
ロングトレイルのみで辿り着く、息を飲む光景。
ロングトレイルにいくら原始的な体験が待っていようとも、道具は現代的なものを使いたい。アウトドアギアにおける機能とは、人類の叡智の結晶だ。レイは、自身の著書『Beyond Backpacking』で、ライトウェイトかつシンプルな装備で自然と繋がることの素晴らしさを提唱している。
「快適じゃなければ、アウトドアを楽しむことができず、自然から戻ってくることもないだろうね。長く急な登りをハイキングする場合、快適さは『プレ・ハイキングトレーニング』『バックパックの重量削減』『ハイキングペース』によってもたらされる。雨のなかをハイキングする場合は、適切なレインギアと、雨がすべての生命を支えているものだという冷静なマインドセットから快適さは成り立つんだ」
強風、雷雨、ときには雹。スルーハイクは、予期せぬ出来事の連続だ。困難なときにこそ、その人の真価が試される。ただ、入念な準備と十分な睡眠が明るい次の日をもたらすということはいうまでもないだろう。そして、そうした試練の先に、息を飲むような光景が待っていることも。
「まるで昨日のように覚えている出来事があってね。髭剃りをしていたときに、突然60頭のエルフがぼくの目の前を駆け抜けたんだ。その勢いと衝撃はまさに『ワォ!』という感じ。その瞬間、これまでぼくは何を見逃していたんだろうと、自分に問いかけたんだ。人生のなかで、当たり前を決めつけてはいけないと」
1969年にアポロ12号で月面着陸した宇宙飛行士、アラン・ビーンは、月から地球に帰還する途中、荒涼とした月と比べて地球の驚異的な美しさに心を奪われたという。そして、「私たちは楽園に住んでいる」という言葉を残した。
スルーハイクにも似たようなことがいえるのかもしれない。日常から離れ、自然のなかに身を置いてこそ、見えてくる景色がある。レイがいうように、それはデイハイクでは辿り着けない光景なのだろう。
恐怖を捨てて、旅に出よう。
いざ、ロングトレイルに出かけようとすると、ぼくたち日本人は“会社員”というハードルにぶち当たる。なんせ日本人は働き者だ。というより、長く休むという行為に社会的孤独感を感じてしまうのかもしれない。でも、レイはこういう。困難への恐怖は、国籍・人種に関係なく、強い決意の欠如によるものだと。
「目標に向かって完全にコミットしているひとは、時間とお金の障害を克服する方法をなんとしても見つけるだろう。そうした情熱を持つひとは、その目標を実現できるはず。ルーティンを捨て、必要な犠牲を払ってでも、道を阻む障害を乗り越えるからね。強い決意を持つには、『上手くいかないんじゃ…』っていう恐怖を克服する勇気が必要なんだ。ぼくたち人間は、自分が思っている以上に能力がある。それは困難に無策で突入することじゃなくて、予期せぬ問題にも対処できるという自信だね。ロングトレイルを歩くことは誰にでも向いているわけじゃない。延々と家でゲームをしたり、ソーシャルメディアをスクロールしたり、テレビを見たりすることが自分に合っているひともいる。そして、そういうひとはそのままでいいんだ」
日常をリセットしたい、視野を広げたい、曖昧でも何かを変えたい。そう思っているひとは、ロングトレイルに出かけることをオススメする。かくいうぼくも、今回の特集で二泊三日の旅に出かけただけ。経験者からすればほんの触りをかじった程度に過ぎないが、それでも発見はあった。
山のなかに芽生える花々の尊さ、ブナの力強さ、湿原に沈む夕日の美しさ。日常でいうと、空調の効いた部屋で過ごせて、毎日シャワーを浴びられて、冷えたビールも飲める環境に改めて感動した。“当たり前”から抜け出すことで、これまで気づくことのなかった自然の一面に触れられ、都市生活の便利さにも気づけた旅だった。
そして、ロングトレイルのさまざまな楽しみ方も知った。この特集をメインで担当してくれたライターは、定期的に10日間ほどの休みをとり、トレイルの数区間を歩くセクションハイクを楽しんでいるそう。一方、とある経験者は、ロングトレイルの醍醐味はスルーハイクにあると、そのライターを前に答えた。ぼくの場合は前者だろうなぁ。10日以上は休めません。
最後に、ロングトレイルを歩こうと思っているひとに向けて、レイから一言もらった。人生に迷いがあるなら、この言葉を思い出して欲しい。
「夢を追いかけろ!(Just follow your dreams!)」